米野球殿堂入りが噂されている松井秀喜氏についてまとめてみた 巨人時代 | CGと野球と格闘技が好きンゴー

米野球殿堂入りが噂されている松井秀喜氏についてまとめてみた 巨人時代

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米野球殿堂入りが噂されている松井秀喜氏


米野球殿堂入りが噂されているとニュースになっている松井秀喜氏についてまとめてみようと思います。
今回は巨人時代についてです。


巨人時代


今年で43歳となる松井秀喜氏
小学1年生時に軟式野球チームに入団しますが幼かったこともあり一旦野球をやめてしまいます。
しかし、野球に打ち込む3歳上の兄に触発され、小学5年生の時に再度軟式野球チームに所属をし、本格的な野球人生が始まります。

高校は地元、石川県にある星稜高等学校に入学をします。投手として入部しましたが、すぐに一塁手に転向。その後、三塁手に転向しました。

夏の甲子園は2回戦の明徳義塾高校戦で敗退。この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を開くなど、社会問題にまで発展した事で有名ですね。

1992年に4球団からドラフト1位指名を受け抽選の結果、巨人に入団
契約金1億2000万円、年俸720万円
背番号は「55


プロ入り後に外野手に転向


1993年、プロ初のキャンプでは150メートル級の場外弾を連発。キャンプ2日目にはフリー打撃で13本の柵越えを放ち、「こんな高校生、見たことがない」とコーチが驚いたそうです。
高校時代は三塁手でしたがあったが、当時監督をされていた長嶋さんは外野手へとコンバートさせました。

オープン戦は53打数5安打、打率.094に終わり、20三振は全体トップでした。
1度、二軍落ちを言い渡されますが5月1日のヤクルト戦(東京ドーム)で
「7番・左翼手」として一軍デビューを果たしました。

初打席は西村龍次からセカンドゴロ。2打席目には同じく西村からライトフェンス直撃の二塁打を放ち、初安打初打点を記録。
翌日の試合では、9回裏に高津臣吾から内角の直球をライトスタンド中段に運びプロ入り初本塁打を放ちます。
最終的にセ・リーグ高卒ルーキー新記録となる11本塁打を放ちました。
(パ・リーグの高卒ルーキー記録は1986年の清原和博による31本塁打)

翌年の1994年4月9日に行われた広島東洋カープとの開幕戦で2本塁打を記録し、4月には自身初の月間MVPを受賞します。
同年のオールスターゲームではセ・リーグ史上最年少で4番を打ちました。中日ドラゴンズとのリーグ優勝を賭けたシーズン最終戦「10.8決戦」でも本塁打を放つなどチームのリーグ制覇に貢献。
迎えた
日本シリーズでは西武ライオンズを破りチームは日本一、自身も2年目で20本塁打を記録しました。
1995年は22本塁打を放ち、初のベストナインを受賞。
1996年は初のセ・リーグMVPを受賞しました。
22歳での38本塁打は王貞治に並ぶ年齢別最多本塁打記録。
また、同一投手からのシーズン最多本塁打のタイ記録の7本塁打も記録。
契約更改では1億6000万円サイン。高卒選手ではイチローと並ぶ史上最短(当時)の入団4年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たしました。

1997年は通算100本塁打を達成。打点は初めて大台を突破する103打点を記録します。1998年は通算150本塁打を達成。最終的には34本塁打、100打点で自身初のタイトルとなる本塁打王、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。巨人で本塁打王と打点王の両方獲得は、1977年の王貞治以来21年ぶりの快挙でした。

1999年は前年の日米野球でサミー・ソーサからアドバイスを受け、シーズン前に広角に打つことを意識したフォームに改造。6月5日の横浜戦から6月10日の中日戦まで5試合連続本塁打を記録し9月21日の阪神戦では通算200本塁打を達成。
自己最高の42本塁打を記録。日本人のシーズン40本塁打は1989年の落合博満以来10年ぶり、巨人では1977年の王貞治以来22年ぶりの快挙でした。
シーズン終了直後の10月24日には、ヤンキー・スタジアムで初めてメジャーリーグの試合を生観戦し、この経験は強く心に刻まれ、後のメジャーリーグ挑戦を決断する一つにもなりました。
2000年は7月12日の広島戦で通算1000本安打を達成。
シーズン全試合4番出場は巨人では1950年の川上哲治以来50年ぶりの記録。
本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVP、日本シリーズMVP、ゴールデングラブ賞を受賞します。
なお、この年の日本シリーズMVP受賞によって川上哲治、大下弘、福本豊に次ぐ史上4人目の「レギュラーシーズン、オールスター戦、日本シリーズにおけるMVP獲得者」となりました。
同時に、プロ野球界に最も貢献した人物に贈られる正力松太郎賞も初受賞します。
11月21日には石川県県民栄誉賞を受賞。
契約更改では、松井のメジャー流出を危惧した球団側が8年総額56億円という破格の長期大型契約を持ちかけますが「一年一年が勝負という気持ちでプレーしたい」として単年契約にこだわり、球界最高(当時)の年俸5億円でサイン。
2001年4月12日の中日戦に1000試合目の出場で通算250本塁打。
5月3日の中日戦で当時史上5人目の1000試合連続試合出場を達成。
5月5日から8月13日までセ・リーグ歴代1位の65試合連続出塁を達成します。
この年、初の首位打者のタイトルを獲得しましたが、全イニング出場での首位打者は王貞治、イチローに次ぐ史上3人目の快挙となりました。

FA権獲得が目前に迫り、下交渉では球団から5年総額50億円の大型複数年契約を提示されますが、これを断り当時プロ野球史上最高額となる年俸6億1000万円で単年契約をします。

FA件を取得し行使、メジャー挑戦へ


契約更改後の会見では、来期にFA権を行使することを明言し、「このまま巨人に残るか、アメリカに行ってみるか二者択一になる」と語りました
2002年、4月13日にFA権を取得。
11月1日にFA権を行使してMLBへの挑戦を表明します。
「最後の最後まで悩んで苦しかった。何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい。決断した以上は命を懸ける」と決意を語りました。

MLB球団との交渉にあたって、当初は代理人無しで交渉に臨む予定でしたが
MLBの契約内容の複雑さを知った松井は方針を転換し、ジェイソン・ジアンビの代理人としてニューヨーク・ヤンキースと大型契約を締結した実績があるアーン・テレムを代理人に選定します。
テレムには「ヤンキースとだけ集中して交渉してほしい。ヤンキースがダメだったら次のことを考えよう」と伝え、ヤンキースへの入団を熱望ました。

当時、自分は学生でしたが巨人時代での活躍やメジャー挑戦を表明した時のことは
今でも鮮明に覚えています。

55番という背番号・ゴジラと言われていた名称など
数々の記録も達成しプロ野球界にとっても偉大な1人として今後の未来でも
語り継がれていくと思います。


NPB時代に得たタイトルや表彰・記録


首位打者:1回 (2001年) ※史上3人目のフルイニング出場での獲得
本塁打王:3回 (1998年、2000年、2002年)
打点王:3回 (1998年、2000年、2002年)
最高出塁率:3回 (1998年、2000年、2002年)

MVP:3回 (1996年、2000年、2002年)
ベストナイン:8回 (1995年 - 2002年)
ゴールデングラブ賞:3回 (2000年 - 2002年)
月間MVP:7回 (1994年4月、1996年7月・8月、1998年5月、2001年9月、2002年7月・8月)
正力松太郎賞:1回 (2000年)
最優秀JCB・MEP賞:5回 (1994年、1996年、1997年、2000年、2002年)
優秀JCB・MEP賞:1回 (1998年)
JA全農Go・Go賞(強肩賞):1回 (1998年9月)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:4回 (1996年 - 1998年、2000年)
ゴールデンスピリット賞:1回 (1999年)
東京ドームMVP:3回 (1996年、1997年、2002年)
オールスターゲームMVP:3回 (1995年 第2戦、1998年 第2戦、1999年 第1戦)
出身地別東西対抗戦優秀選手:2回(1999年、2001年)
日本シリーズMVP:1回 (2000年)

その他表彰

グッドガイ賞:1回 (2003年)※全米野球記者協会(BBWAA)のニューヨーク支部が取材対象である選手の人柄を評価する賞
日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣杯
大賞:2回 (2000年、2003年)
殊勲賞:1回 (2002年)
報知プロスポーツ大賞:3回 (1996年、2000年、2002年)
毎日スポーツ人賞:3回 (2002年、2003年、2009年)※2002年はファン賞、2003年は国際賞、2009年は特別賞での受賞
新語・流行語大賞 特別賞 (2003年、「Godzilla」)
ナンバーMVP賞 (2003年)
在ニューヨーク日本総領事館在外公館長表彰(2009年)
ビートたけしのエンターテインメント賞
50周年特別賞 (2009年)
特別賞 (2012年)
ビッグスポーツ賞特別功労賞 (2013年)
国民栄誉賞 (2013年)

記録
通算本塁打:332(1993年 - 2002年) ※実働10年間にも関わらず歴代34位
年間最高出塁率:.463(2001年) ※読売ジャイアンツ球団記録
年間最多塁打:346(2002年) ※読売ジャイアンツ球団記録
フルイニング連続試合出場:574(1995年5月30日 - 1999年7月22日) ※読売ジャイアンツ球団記録
7年連続シーズン30本塁打以上(1996年 - 2002年) ※歴代4位タイ
5年連続シーズン100得点以上(1998年 - 2002年) ※日本プロ野球記録
5試合連続本塁打(1999年6月5日 - 6月10日)
65試合連続出塁(2001年5月5日 - 8月3日) ※セ・リーグ記録。
1250試合連続出場(1993年8月22日 - 2002年10月11日) ※歴代3位。読売ジャイアンツ球団記録
通算長打率:.582(1993年 - 2002年) ※歴代3位
通算四球数:844(1993年 - 2002年) ※実働10年間にも関わらず歴代31位
リーグ外野手レンジファクター(RF/G)1位:1回 (2000年:2.11)[438]
オールスターゲーム出場:9回 (1994年 - 2002年)
オールスターゲーム3試合連続本塁打(2001年) ※史上初。中村紀洋と同時に達成。
4試合での日本シリーズ5四球 (2002年) ※山内和弘と並んでシリーズタイ記録
レギュラーシーズン、日本シリーズ、オールスターゲームでMVP選出 ※川上哲治、大下弘、福本豊に次いで史上4人目

NPB初記録

初出場・初先発出場:1993年5月1日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、7番・左翼手で先発出場
初安打・初打点:同上、5回裏に西村龍次から右翼フェンス直撃適時二塁打
初本塁打:1993年5月2日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、9回裏に高津臣吾から右越2ラン

NPB節目の記録

100本塁打:1997年4月27日、対広島東洋カープ6回戦(東京ドーム)、5回裏に山崎健から右越同点2ラン ※史上188人目
150本塁打:1998年7月28日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、8回表に川崎憲次郎から右越ソロ ※史上107人目
200本塁打:1999年9月21日、対阪神タイガース25回戦(東京ドーム)、3回裏に舩木聖士から右越2ラン ※史上71人目(841試合での達成は歴代11位)
1000本安打:2000年7月12日、対広島東洋カープ16回戦(札幌市円山球場)、4回裏に澤崎俊和から右翼線へエンタイトル二塁打 ※史上202人目
1000試合出場:2001年4月12日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、4番・中堅手で先発出場 ※史上366人目
250本塁打:同上、5回表にメルビン・バンチから右越同点ソロ ※史上41人目
300本塁打:2002年7月9日、対広島東洋カープ15回戦(広島市民球場)、9回表に黒田博樹から右中間へソロ ※史上27人目

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